まる学事始め
ピンピンシニアは自らのカメラに写る不思議なまるに驚きました。
やがて、、、写り続けるそれら不思議なまるを眺めているうちに、
それが持つ意味がとても深いものであることに気がついて参りました。
【更新情報:第二部
10.竹灯篭(2011年) 11.木霊
2012,01,15】
不思議なまるの全容を明かすことなど到底出来ないことですが、まるが
カメラに写るのも何かのご縁があるからだろうと勝てに決め付けて、
稚拙ですがまる学なるものを書いていきたいと思います。
写真は証拠にもなります。まる学は論より証拠が基本となります。
(2009年9月23日(水)秋分の日)
ピンピンシニア Email
1.まるの呼び方について
テレビやインターネット等では心霊写真も多く紹介されてきました。
それが本当に心霊写真なのかというのはさておき、それら写真の中にまるい
物体が浮遊しているのを見かけた人も多いかと思います。
よく言われるのは「オーブ」、「たまゆら(玉響)」があげられますが、
ピンピンシニアが最初に写真に写ったとき、それはあまりにもまん丸だったの
で、以来「不思議なまる」と呼んでいます。
本ページ内では「不思議なまる」
、あるいは単に「まる」と呼ぶことにしま
す。
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2.百聞は一見にしかず・・・カメラに写るまるのサンプル
「まる」と聞いても何のことやらピンとこない人のために写真を載せます。
鎌倉黄金やぐら1 鎌倉黄金やぐら2 鎌倉黄金やぐら3
鎌倉S寺 1 鎌倉S寺 2 鎌倉S寺 3
都内H神社 信州N観音 都内M不動
盆踊 1 盆踊 2 盆踊 3
木の側で 1 木の側で 2 木の側で 3
お寺への参道で 神社への登山道で 野ばらの側で
公園で 1 公園で 2 公園で 3
花見の頃
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3.まるの写真は空中の塵やレンズの汚れではないの?
まるの例を写真でご覧になっていかがでしたか?
評価は大体4ケースに別れるのではないでしょうか。
ケース1:まるの存在を信じる人(あるいはまるの存在をすでに知っている人)。
ケース2:これらは空気中の塵などによるもので科学的に説明できるはずという人。
ケース3:これらはインチキ写真で、合成したに違いないという人。
ケース4:良く分からないためいろいろ疑問や質問を投げかけてくる人。
・別のカメラで撮影しても写りますか?
・あなたのカメラで私が撮影しても写りますか?
・ストロボの発光無しでは写らないのですか?
正直言いまして、私は最初これら写真が写ったとき、ケース2でした。
特に、空気中に浮遊する水の細かい粒子とストロボ光が反射するとき
発生する可能性の高い干渉縞との関係を強く疑っていました。
次の3枚の写真をご覧になってください。
画素数450M 画素数1000M 画素数1000M
(Canon) (リコー) (Panasonic)
色が違っていて天体写真のようですが、それぞれ別メーカーの
カメラで撮影したまるです。天体写真ではありません。
インターネットでよく見るのは一番左のタイプかと思います。
同心円状に輪が見えるので、干渉縞を疑いました。
その後そのカメラを失くし、カメラを買い換えたのですが、
買い換えた時には1000M画素はあたりまえの時代でした。
新しいカメラでもまるは写りました。
画素数が上がったことによる影響なのか良く分かりませんが、同心円状の
輪はほとんど写らなくなり、その代わりタンポポの綿毛状の構造が写りました。
3社のカメラでまるが写っていますのでカメラ固有のレンズのゆがみなどの
問題であるということはなくなりました。
次の写真をご覧になってください。
N観音(Canon) N観音(Panasonic)
これは信州N観音で写した、山門の仁王様の写真です。
異なるカメラで撮影したため、撮影時刻が30秒ほどずれています。
この2枚の写真を載せたのは、まるの写る理由を空中の塵などのピンボケ写真
であるなどと反対意見として説明されるのを、かなりの部分排除できると思う
からです。
まるだけの写真だと、同じまるが写っているのか別のまるが写っているのか
わかりにくいため、沢山浮遊している空気中の水の粒子がランダムにそれぞれ
に写ったといわれてしまいます。しかしこの写真は特徴のある光のトンネルと
思われる奇妙な形の光の筋が、異なる別のカメラに写っています。
しかも撮影はカメラを交換するため30秒ほどずれているにもかかわらず、
同じような光の筋が写っています。
別のカメラでこのように写ったということは、実際にカメラに写り得る実態が
ここに存在したといえないでしょうか?
被写体も変化しており、2台のカメラを換えているうちに被写体の形が変わっ
たといえないでしょうか?
この光は何かといわれてもまだよくわかりませんが、私たちの科学ではわから
ないものが存在しているということが言えるんじゃないかと思います。
さて、ならばカメラに写るまるは全て不思議なものなのかということについて
ですが、次の写真をご覧になってください。
雨の夜景 左上部分の拡大
雨の夜に撮影してみました。白く光るものが沢山写っています。
雨粒がストロボを反射して光ったんだろうと考えますよね。
一部分を拡大した写真を載せました。
ん???
まるの例で載せたまると良く似ていますね。
な〜んだ、やっぱりまるは水の粒だったんだねと言われてしまいそうです。
ところで、皆様、雨が降っているときに雨の写真を撮られたことがあります
か?
その時に、まるは写りましたか?
私の経験だと、全部が全部写るわけではありません。もしまるが雨粒であるの
ならが雨粒が撮影の瞬間に撮影ポイントを通過しているという確率の問題とな
ってきます。
その場合何枚も写せば、必ず雨粒がまるのように写るはずです。
雨粒が写る時は、直近を通過した雨粒が白く写り、まるのようには写りませ
ん。
空を埋め尽くすほど沢山のまるが写ることもあります。雨の中にまるがいて、
そのまるが写ったと考えてもそんなにおかしくないです。実際のところまるは
水が好きであるようです。
ならば、この写真は?
新橋駅前のSL
雑踏の中のSLに沢山のまるが写っています。
蒸気機関車のそばには水を霧状に噴霧する装置があります。
またもや、これは水の粒が光っているんだといわれそうです。
私も、はたしてSL好きのまるがいるのだろうかと不思議に思っている
次第です。
全く別の観点からの話をすると、もしまるが霊魂のようなものであったのな
らば、東京は大空襲などで沢山の方が亡くなられた場所なのでたくさんのま
るがいそうです。
まるが写真に写る場面などの経験上、まるは水の存在を好むように感じま
す。
噴霧される霧を好み、さらに人を好んで雑踏の中にまるはいるのかもしれま
せん。
本章のまとめ
・空中の塵、水の粒子などの反射で丸いものが写ることもあると思いま
す。
・でも、それだけでは説明できないまるが存在しています。
・むしろ、説明できないまるのほうがずっと多く「まる学事始め」のテー
マとなっています。
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これは丹沢のヤビツ峠で撮影したものです。
拡大してみるとわかりますが、雨が写っています。
雨の1滴がたまたまこのように写ったのでしょうか?
本章のまとめですが、まるには不思議な特性があるようです。
私たちと同じ今の3次元空間を移動することも出来るし、瞬時に消えることも出来るし、
形を変えることもできます。
また、まるにも格と言うものがあるように感じます。
人間や動物のまるもあるでしょうし、もっと高位のまるも存在するということです。
こういう観察結果をどのように理解すればよいのでしょうか?
デジカメがこれだけ普及している今日、科学的に新物質として取り上げるとした場合、
もっと報告例があって良いと思うのです。
ここで大きな疑問、課題が生まれてきます。
まるは誰にでも写すことができるのか?・・・・・ということです。
本章で般若心経に少し触れましたが、そういう話になってくると、迷信であるとか辛気臭いとか
科学万能の現代においてはそういう目で見られがちです。
でも、全くのでたらめならとっくにこの世から信仰はなくなってしまっていると思うのです。
昔の人に見えていて、今の人間には見えなくなってしまっているものがあるんじゃないのかと
考えるのも考え方の一つとして良いのではないのかと思うのです。
6.観察の結果まるが何であるかを考える
前章では写真にまるく写るものを観察し、まるにはどのような種類があるのかを見てきました。
この章ではまるい形とはちょっと違った、写真に写る不思議なものを見ていきたいと思います。
まずはこの写真をご覧になってください。
19時8分20秒に撮影 19時8分51秒に撮影
6月初旬の夕暮れの公園の空に光の粒が舞います。
中央の輝点は月です。
いかにも月の周りを回っているように見えますが、ストロボの届く距離にこれら輝点はいます。
右側の写真の左下を拡大しました。
羽の生えているものが飛んでいるように見えます。
蛾でも飛んでいたのでしょうか?
数枚の写真に写り、そのあとは全く写らなくなりました。
もっと虫の多い夏でもこのような写真は写ったことがありません。
ティンカーベルが飛んでいるように見えないこともないです。
ならば、次の写真はいかがですか?
用水路のトンネルの中で似た物体が写りました。
用水路という限定された空間の中で、周りのボルトなどの構築物と比べると、
蚊のような小さなものではありません。
それにこんなに頭の太い虫はセミとかでしょうか?
ティンカーベルが用水路の中にいるとはあまり思いたくないけど、あちこち飛び回る
冒険好きなやつもいるのかもしれません。
虫かもしれないというところで別の写真を見て見ましょう。
これは盆踊会場で撮影しました。
これこ足に見える部分が細いから蚊のようにも見えますが、これと酷似した写真を
インターネットで見ました。
下の2本が、まるで生きている足のように見えませんか?
ここで妖精という単語が出てきそうです。
では次の写真です。
これはニセアカシヤが咲く頃、木の花に現れた輝点です。
拡大しても、まるとはちがった感じでしょ?
ここでも妖精という単語が出てきそうです。
それではこの写真です。
鎌倉のK神社の参道です。
中央下になにやら写っていませんか??
拡大してみますね。
一見して妖精です。
羽に見える部分、良く見るといくつもまるがつながって出来ているように見えます。
透明ですね。
体の部分は今まで見てきたものと同じように白く写っています。
以上いかがでしたか?
丸い形のもののほか絵本に出てくる妖精を思わせるようなものもあります。
【写る場所で整理すると】
神社やお寺など・・・綺麗な完全なまるが写りやすく、品格の感じられるまるがいるようです。
お寺といっても墓石のある場所では写ったことがないです。
仏像があるような場所で写ります。
盆踊など人の多い場所・・・盆踊など人間の文化の記憶があるまるが集まるように感じます。
私たちに比較的近い世代で亡くなられた方々かもしれません。
公園など身近な場所・・・比較的近い世代で亡くなられた方々やペットなどがいるのかも。
自然の草木などのまるが多いと思います。
遠足などに行くと、まるがついてきていると感じることもあります。
ひっそりとした山の穴・・・自然の精、動物などのものもあるかもしれません。
林や草地など・・・自然の精、動物や場合によっては植物もまるになるのかもしれません。
【形で整理すると】
まる・・・・完全なまる、シミやキズのようなものがあるまるがあります。
写真によっては年輪のような同心円が写るのですが、その数も異なっています。
証拠はないのですが、輪廻転生によってまるは形を変えるのではないでしょうか?
綺麗なまるになることもあれば、形が崩れていくこともある。
綺麗なまるは品格があり人間より上の存在であるように感じます。
しみやキズがあるまるは、私たち人間レベルでしょうか。完全なものはいません。
ペットや野生の動物もどんな形かわかりませんがまるになっていると思います。
妖精のような形・・・・ギリシャ神話で半神半人が出てきますが、そういう存在も
実在するのかもしれません。
このように写真に写ったまるの実例を見てくると、まるは空気中の塵や細かい水の粒が写った考えるより肉体を持たない魂のようなものが写ったと考えると、無理なく理解できると思います。
私たち、肉体のあるものも死ねばまるになっていくのでしょう。
私は元々理科系で世の中の事象はすべて物理で説明できると考えておりましたが、
今の物理では説明できない分野があるのだということを痛感しております。
ならばこれらは「オカルト」であるとかよく使う言葉で「スピリチャル」な分野であるということではなく、宇宙の物理の中で動いているものであり、やがて全てが人間が理解できる物理学によって説明できるようになると考えています。
関係ない話ですけど、水素や酸素、炭素などの原子は物理上は陽子や中性子それに電子が集まった粒です。それがある構造に配列されるとDNAとなり動き始めます。
全く持って不思議な話ですけど、それはなぜ?と言う話と似ています。
現状では、ある部分に神という存在・役割を入れないと説明できないのと同じです。
般若心経では眼、耳、鼻、舌、身、意 がない世界のことを述べています。
今生きている私たちには肉体がありまた意識があります。
肉体がなくなったあとには何が残るのでしょうか?
素人考えですが、理解が難しいのは「意」です。
よく、肉体を離脱する話を聞きますが、その場合でも「意」をもっているようです。
古来、夏に出てくる怪談も、まさに「意」をもっているから「うらめしや〜」になるんですね。
「意」のない魂だけの部分が実在し、それは肉体が無くなった後も輪廻転生の種として存在し続けるんじゃないのかなあ、、、、??
よくご先祖様が見守っていてくれるとか言うことがありますが、完全に「意」がなければ、そこに矛盾が生じてしまいます。
天国で花園を見たとかという話が成立するためには、肉体を持っているときとは同じでないにしても何らかの眼、耳、鼻、舌、身、意のようなものを持っていないとおかしいことになります。
死ねばあの世に行くという話しは子供の頃から聞いている話です。
まるというかたちで写真に写るものは実在し、肉体のなくなったもののエッセンスであるような気がしてなりません。
まるのような未知のものは、現在人に対してはお話だけでは説得力がありません。
証拠にないうるのかは議論がありますが写真で説明出来ればいいなあと思い例をあげてきました。
この文章は私が書いており私の主観が入っていますが、写真をご覧になった読者の方はどのようにお感じになったでしょうか??
7.まるは怖いものなのでしょうか?
まるには実態があることを写真で示してきたつもりですが、テレビや雑誌で取り上げられる霊現象との区別がつかない方もおられるんじゃないかと思います。
それに、現在の科学では取り上げられていない分野なので、怖いものなのかどうかについては考えてみる必要があると思います。
怖い分類を下記に分けます。
@物理的(肉体的)な脅威
A精神的な脅威
B社会的な脅威
【物理的(肉体的)な脅威】
これは新型インフルエンザのウイルスのように体内に入ると、そこから何がしかが発症するよ うな場合。または、空中に浮遊しているまるにぶつかると怪我をしたりぶつかったところに出来物ができたりするような場合を言います。
う〜ん??
これはどうなんでしょう??
カメラに写るまるは、遠景と重なり合っているのでいかにも写真の中の象徴的な被写体の周りに、たとえば満月の写真であれば月の周りにいるように見えますが、実際にはストロボの届くごく接近した距離の所にいます。そういう意味では今までまるとぶつかったこともあったのかもしれません。
世界中の人がまるに気をつけて歩いているわけではないし、今までまると衝突して何かあったなんていうことは聞いた事がないので、物理的に怖いものであるということは無いのでしょう。
よく憑依されるということを耳にしますが、吸い込んだ時にそうならないの?と問われた場合、、、、。
私は「一体一まる」という原則があるんじゃないかと思います。
一体とは生物の個体一つのこと。人間なら一人にまるは一つだけ。それは生まれるときに結合し、死ぬときに分離するんじゃないかと。
肉体とまるの結合は、化学でいう共有結合のようにお互いに不足しているものを出し合って結合するきわめて強い結合であると思います。それが私たちの人格になっているんじゃないですかねぇ。善人も悪人も人それぞれになっているわけです。
悪いまるがよそから来て、肉体と結合しているまるに取って代わって住み着くなどということは起らず、物理的には憑依などということはありえないと思っています。
この章ではお見せできる写真が無いので、どうしてもお話になってしまいますが、物理的な脅威は無いと考えます。
そうだ、、、そういう意味ではこの写真をお見せしましょう。
遠方にピントが合っている写真です。
まるも写っていますが、距離は少なくとも1m以上離れたところにいます。
これは上の写真と同一の場所です。
ピントはゴク近場に合っています。
上の写真を撮影したあとこの写真を撮りました。
下のほうで大きく見えるまるは、上の写真を見ればわかるように、
遠くの外灯のピンボケ写真です。
この写真、よく見てください。
近場に合っているピントではっきり写っている輝点があります。
拡大してみますね。
左上部分の拡大 右上部分の拡大
沢山写っている輝点は星ではありません。
ピントの距離が数cmのところにある物体が写っています。
息を吸えば吸い込んでしまう距離です。
細かい輝点は空中の細かい水の粒子かもしれないし、良く分かりません。
良く見れば、粒状の輝点とまるとよく分からない形状のものが混ざって写っています。
粒上の輝点は空中の細かい水の粒かもしれませんが、
他のは私たちが日常的にぶつかり合っているまるではないのでしょうか?
次の写真をご覧下さい。
直近にピントが合っているため木がボケて写っています。
直近のピントがあっているものが写っています。
その拡大写真を示します。
ピント距離は数cm。
レンズの汚れではないの? と言われかねない写真です。
レンズの汚れならほかの写真も同じに写るはずですが、そうではありません。
私たちの周りには、これだけ沢山の目に見えないものが浮遊しているんです。
塵なども含まれますが塵はこんなに白く写るものなのでしょうか?
吸えば当然体内に入ってくる距離です。
私たちはこういう環境で生きているわけですが、
今までも特に変なことにもならないし、、、
よって、物理的には安全であると言えるのではないでしょうか。
【精神的な脅威】
まるの実在を知ることは未知との遭遇なんでしょうね。
わからないもの、目に見えないものに対して恐れるということは、まるに限らずほかにも沢山あるでしょう。
まるのような分野では、先にも書きましたが、呪いや憑依されておかしくなってしまうことを恐れ、それを精神的な脅威であると誤解しがちなところがあると思うのです。
誤解して妄想から体調を崩すような状況が精神的な脅威だと思うのです。
伝染病であろうが放射線障害であろうが、それらの原因物は人間には見えないだけで実在しています。ウイルスやガンマ線が物理的に接触して病気を起しているのが実態です。
正しい情報を発信してそれを理解して受け止めれば、それは未知ではなくなり、特に脅威となる
ものではないでしょう。
まるの実在を隠すこと、、、それが一番いけないんでしょうね。
【社会的な脅威】
これは、指導的立場にある人たちが、これらの情報を利用して国民をコントロールすることです。
あるいは霊感商などに利用され詐欺などが行われることです。
正しいまるの知識を皆が知らないと、社会的な脅威が一番の脅威となります。
肉体を持たないまる、肉体を持つまるがあります。肉体を持つまるは私たちです。
まるがまるを利用して、肉体を持っている時間を優位に過ごそうなんていうのは、おかしい話です。
テレビでもよく報道されますが、人が己の利益のために人を殺す事件があります。
肉体と結びついたまるはこの世で生き始めますが、生きる環境や肉体が要求する強い欲求を抑え切れことが出来ないと、他の者に危害を加えることもあります。
安易に犯罪に走る人間は、まるの知識がないからどうせこの世は一回限りと考えて暴走する結果と思います。
やがて、肉体のないまるに戻ったとき、写真にも写っていますが、キズのあるまるになってしまうような気がします。
この世で試されるということなんでしょうか。
一つここで言っておかなければならないのは、肉体は自然の中で生きているという事です。
自然のルールは淘汰です。まると肉体が一体となった生物が淘汰されるということは、まるにとって見れば肉体が奪われてしまうということです。
まるは、未来に向けて気の遠くなる転生を繰り返すとすると、肉体は自然に対応できるタイプのみが生き残るでしょうし、まるも変わっていく肉体に宿ることが出来るタイプになれることが求められれているのかもしれません。
まるもこの世で変わっていかないといけないということなんでしょう。
この世での努力は大切で、結局は、よく言われる「今を一生懸命生きる」ということに結びつくのだと思います。
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8.宗教との関係は?
インターネットで「宗教」という言葉を調べてみました。
三省堂の「大辞林」で、
「神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。」
と検索することが出来ました。
神仏を信じて安らぎを得ようとすることは、私も困ったときには神社などにお参りに行くこともあり、とてもうなずけます。
しかし神仏の教えについては、恥ずかしながらほとんど無知です。
生活の中では季節の休みがある春分の日、秋分の日が彼岸であるということと、盆を理由に夏休みが取り易いぐらいしか縁がないし、人生においても結婚式は神前で神様にお世話になり、たぶん葬式は仏教のお世話になるであろうという状態です。
まる学は、未知の分野であるが故どうしても人知をこえた分野を含めた話をせざるを得ないので、ならば神仏かと思い「宗教」という言葉を出してみたのですが、現状においてはとても書けません。
降参です。
宗教との関係については書きません。
以下、自分の中で感じていることを少し書きます。
まずは写真をご覧になってください。
燃えるような空です。真ん中に人間が作った街灯が写っています。
この写真を見て何を感じますでしょうか?
燃えるような空は一瞬として同じ風景ではありません。
常に移ろっていきます。
しかし空そのものは何万年、何億年と変わることがなく、
それでいて空の表情は刻々と変わり続けているのです。
偉そうに写真中央に写っている街灯は十数年はこのまま持ちこたえるかもしれません。
しかし所詮そんな時間です。
人間の作り出したものは大自然の中では一瞬で消え去っていくものなのです。
では、こちらの写真をご覧になってください。
夕暮れの富士山のシルエットとまるです。
中央右の雲の下の三角が富士山です。
富士山とまるとではどちらが長く存在できるのでしょうか?
富士山は大きく偉大ですが、わずか昔の江戸時代からも噴火により姿を変えています。
やがて太平洋プレートの移動により大きく形を変えていくでしょう。
ならば、まるは?
まるはいつ頃から存在したのでしょう?
今世界に存在している宗教よりも前から存在していたんじゃないのかなと感じます。
まるは、大宇宙の普遍的な法則にしたがって動いているものかもしれません。
今の宇宙物理学でもまだ説明が出来ない、ビックバン以前の本当の宇宙の始まりがあります。
もしそれが神によって引き起こされたものであれば、まるは神の宇宙設計に従って存在しているものなのかもしれません。
宇宙の誕生から宇宙の終焉まで長きにわたって情報を伝達しているのがまるかもしれません。
まるは地球のような生物が生きられる環境の下では生物の生死を乗り継ぎその間自らを発育させ、地球のような環境がないときには何億年もその環境が整うまで宇宙のどこかを静かに吹き渡っているのかも知れません。
地球という生物が存在できる環境が整い、人類という突然高度化した生物が現れ、やがて神の存在を信じるまでに心が育ちました。宗教誕生のとき宗教創設者にはまるが見えていたのかもしれません。まるが情報伝達の役割を持っているのであれば、宗教創設者はまるから情報を得ていたのかも知れません。まるのような概念が宗教の中で述べられていても決しておかしい話ではないということになります。
次の章は「この世とあの世」。
今の人、特に無宗教の日本人にはとっても苦手な分野に対して、写真を基にお話を進めていきたいと思います。
【目次に戻る】
9.この世とあの世
この世とかあの世という言葉は子供の頃から知っていました。死んだら、天国に行くんだよとか、悪いことをすれば閻魔様に舌を抜かれるとか地獄へ落ちるとか、日常の生活の中で話を聞いて育ってきました。
でも今の日本人の大人で、この話を信じている人はどのくらいいるのでしょう?
ほとんどの人はだれかの葬式のときに思い出したように天国という言葉の入った弔辞や挨拶を交わす程度じゃないのでしょうか。
つまり、多くの人は天国や地獄はお話の世界だと思っているんですね。
私もそうでした。科学万能の世の中だと思っていましたから。
この章では写真に写る不思議な光景、それは不思議ではあるけど写真に写るが故に実態があると考えられる光景からこの世とあの世を見ていきたいと思います。
まずはこの写真をご覧になってください。
15時29分58秒に撮影 15時30分08秒に撮影
鎌倉のS寺での撮影です。
中央の石柱の左に斜めの輝線が見えますか?
よくわからない人のために両方の写真のその部分を拡大しますね。
上の左の写真の拡大 上の右の写真の拡大
左の写真では真ん中の光る部分からちょっと上に小さな光の粒が見えますが、右の写真では見えません。
逆に右の写真では真ん中の光る部分の下側に別の光の粒が連なっているのが見えます。
これは何でしょう?
ほかの写真などを見ると、光る粒はみんなまるなんです。光る輝線はトンネルのようなものと思われ、その中をまるが移動している姿なんです。
それではここでこの写真をご覧になってください。
9字54分3秒に撮影 9時54分11秒に撮影 9時54分20秒に撮影
これは鎌倉のM寺にあるやぐらを撮影したものです。
最初光の横じまの帯のようなものが現れその上方向にはうっすらとトンネルのような物が見えます。真ん中の写真ではトンネルの中にまるが現れます。右の写真では何事もなかったかのように何も写っていません。
これは何でしょう?
トンネルの中をまるが移動している姿ではないのでしょうか。
S寺では小さな粒、M寺では周りの五輪塔から比較できるほどの大きさです。
まるは別の世界へ移動しているみたいです。
その別の世界とは何?となってくるわけです。
ここで、最初の章で紹介している写真の中で、もう一度この写真をご覧になってください。
N観音で撮影した写真です。
これはトンネルの中を幾つものまるが順番に移動している姿だと思うのです。
それでは、今度はこの写真をご覧になってください。
10時21分36秒に撮影 10時21分45秒に撮影
またまた鎌倉のS寺での写真です。
中央の石柱の右上あたりに斜めの輝線が見えませんか?
見えない人のために拡大しますね。
左の写真の拡大 右の写真の拡大
左の写真も右の写真も左下から1本の輝線が中心の光る部分に入り、
光る部分の右上方向には幾条もの輝線が放射状に広がっているのがわかりますか?
左の写真では4本、右の写真では3本の輝線が確認できます。
左下から1本光る部分に入り、そこから先は幾方向に分かれている構造です。
先ほどからこの輝線はまるが通るトンネルではないかと書きましたが、そのまま考えると、
まるは一旦一つの場所に移動し、そこから先は違った方向に出て行くというふうに推測することが出来ます。
ここで、この章の冒頭で書いた天国と地獄の話、あるいはこの章のタイトルのこの世とあの世を思い浮かべてください。
まるは私たちが肉体を失ったあとの姿、そのまるがあるところに集まって違う方向へ出て行く。
直感的には私たちは死んだあとまるとなって光る部分に集められて、良く分からないけど、そこで沙汰を頂いてそれぞれの目的地へ向かう。こういうことになるのですが、、、。
光る部分で選別をされるのでしょうか?
小さい頃から聞かされていたお話がとてもぴったりです。
1本が天国行き、1本が地獄行き、、、、、、、。
はたまた、私たちの知らない別の次元があり、そこにはトンネル幹線があり、インターチェンジのようなものがあって行き先を変更できるようになっているのでしょうか?
いずれにしても、天国と地獄、この世あの世と言葉は違っていますが、私たちの知らない異次元の存在を強く示唆する写真だと思います。
ここで、「死んだら天国に行ってご先祖さんはそこから見守ってくれているんだよ」という、誰でも耳にしたことがあるお話を思い出して、次の写真を見てください。
これは盆踊のときの写真です。
冒頭のまるの紹介の所で、「木の側で1」で紹介したものです。
全体に白いモヤのようなものが空から地表に向かって降りてきています。
そのモヤの中に沢山のまるがいます。
そこでこの写真を部分的に拡大したのを3枚用意しました。
ご覧になってください。
葉っぱ付近のまる 左写真の下あたりの拡大 左写真の右あたりを拡大
これらの写真をご覧なってどのように感じますか?
盆踊にまるが沢山集まるのは今までの写真でわかっていることです。
その集まり方が問題になりそうです。
あの世から、モヤに包まれたバスのようなものでまるはこの世に接近し、中にはモヤを通り越してこの世に出てしまうのもいます。一番右側の写真を見てください。
この世に出たまるは壊れるように姿を変えていってます。
これは異次元、すなわちこの世とは隔絶されたまるの世界が写っているのではないのでしょうか。
盆踊を見るツアーがまるの世界にあるのかもしれません。
私はこれを見たとき筋子だと思いました。まるはみんな膜の中にいてこの世とは接触できないものだと思ったのです。でも良く見ると膜の外に出ているのもいて、それらは膜から遠ざかるに連れて原型をとどめなくなっています。
この世は環境が厳しく毒なのでしょうか。
普段写真に写るまるは、この世に適合しているまるなんでしょう。
多くのまるは、あちらの世界にいて、たまにこちらに来るチャンスがあるのですが、環境が馴染んでいないので、膜の中からこちらを見ているということになりましょうか。
わからないことがとても多いのですが、あの世と呼んでよいのかわかりませんがまるの世界は実在している模様です。
で、そこへの移動はトンネルがあり、その中をまるは順番に動いていくようです。
トンネルには行き先が幾つもあり、もしかしたら地獄行きなんていうのもあるのかもしれません。
写真によって輝線の大きさが異なっており、そんな糸のような太さの所を通れるのかと言われそうですが、異次元の世界のトンネルが、瞬間的にこの世から垣間見ることが出来た瞬間を写した写真です。
次元が違うところで大きさの話をしてもナンセンスです。きっとまるが移動できる十分な大きさがあることと思います。
臨死体験で、最初はトンネルを通っていくという話があります。
そのあたりの関係はまだよくわかりません。
無理なく考えれば、死ねば肉体は亡骸となり土に戻り、肉体を操縦していたまるはトンネルを通ってまるの世界に戻っていく。
戻り先も色々ありそうです。六道輪廻という概念もありますが、、、、。
工学をやっていた私がこんなことを言うのはとっても抵抗があるのですが、
写真を見ていくと、あの世は実在していそうです。
実在するからには物理的に証明される日が来ると思います。
【目次に戻る】
まる学になんで宇宙物理学が関係するのか?
どこの馬の骨かわからないような「まる学」に対してノーベル賞受賞者をも輩出する偉大な宇宙物理学を並べるのはケシカランという声も聞こえてきそうです。
すでに述べているように「まる学事始め」は写真に写ったまるをすべての出発点としています。まるの写真への写り方を眺めていると日々の身の回りの物理世界でもわかっていないことが沢山ありそうだなと思うわけで、それはさらに推し進めれば宇宙のことって、たぶん人類はほんのちょっとしかわかっていないんだろうなあと思うわけです。
お互い十分にわからないもの同士なのでなかなかうまくかみ合わないのですが、
@宇宙の始まりとの関係
A宇宙質量が圧倒的に足りないこととの関係
においてまる学から宇宙をながめてみたいと考えます。
宇宙の始まりとの関係はもしかしたらまる学の究極の目指すところかもしれないと感じており、後の章で多少でも触れることができればいいなあと思います。
この章では宇宙質量が圧倒的に足りないこととの関係について考えてみたいと思います。
本屋さんに行けば宇宙に関する本や雑誌が沢山並んでいます。
普段、まるは何だろうと思いつつ本屋に行き、目に留まったのが宇宙質量不足の話でした。
手短に書くと、
宇宙で観測されている事象を今の理論で説明するためには、見えている星や銀河、ブラックホールなどの質量を全部足しこんだものの更に10〜20倍の質量が宇宙になければならないという話です。
逆に言えば、今わかっているのは全体の5%とか10%しかないということです。
その目に見えない物質をダークマターとかダークエネルギーと呼んでいるわけです。
見えないということは、人類の持っている技術による観測に引っかからないということ。可視光線、X線、赤外線など観測できるすべての波長はもちろんのこと、それ自体光を発しないブラックホールや宇宙レンズによってその存在が確認できるものすべてを足しても足りないという話です。当初質量がないと考えられていたニュートリノは最近質量があることがわかりました。似たような未知の粒子(ダークマター)や宇宙を膨張させ続けている未知の排斥力(ダークエネルギー)が存在するものと考えられています。ダークマターについてはカミオカンデに近い鉱山でキセノン検出器による発見が期待されているところです。
ここでまる学の写真に話を戻します。まるはいつも写真に写るものではありません。実態があると思われるのに写ったり写らなかったり。
まるが写真に写らない人が多いようですが、写真に写らないからまるはいないかというとそうではなく、実態があるものは実は実態がなく、実態が無いものは実は実態があるというようで、物理学より般若心経を持ってきたほうがぴったりするなあと感じることが多いです。
写真に写ったり写らなかったりしている場面を見て感じるのは、今生きている次元と異なる次元が存在していて、次元同士つながっていてたまに向こうの次元が垣間見れるタイミングが存在してその時に不思議なものが写真に写るように感じるわけです。異次元というとSFの世界になってしまいますが、異次元が実在するものだと考えるととっても便利にいろいろと説明できます。この世あの世なんていう話も便利に説明ができてしまいます。
宇宙質量が20倍足りなかったとしたら、宇宙は20次元でできていてそれぞれの世界は同時進行している。この世とあの世とその他18個の世界があり、それぞれの質量・エネルギーが影響しあっている。このような構造だから、この世の中だけどんなに探しても足りない質量は見つからないでしょう。
このような考えはとっても乱暴過ぎましたでしょうか。
多次元という考え方に対して、例えばあの世という世界が存在して、この世と同じだけの大宇宙が別に存在するのか? 20次元だなんていって大宇宙が20個も存在するのか?そんなことは馬鹿げているとなってしまいますが、現に質量が足りないことは多くの物理学者が言っていることです。
E=m×c×c (E:エネルギー、m:質量、c:光速)
異なる次元は物体としてではなくてエネルギーとして存在すれば良いと思うのです。
この世の大宇宙はそれらのエネルギーを格納する容器で、そこにそれぞれ識別できるエネルギーの固まりのような物が存在するのかもしれません。
この話、ダークエネルギーの話と根本的に同じかもしれません。
個々に識別されたエネルギーごとに実はそれが天国地獄などとなっているのかなあと、想像してしまうわけです。本当は、花咲く天国、厳しい地獄というように空間の概念がセットになるととてもわかりやすいのですが、そのあたり良く分かりません。
ところでデジタル放送は統計多重という方法で複数の番組を圧縮して電波を送ることができます。アナログ放送は一番組あたり6MHzの周波数帯を必要とし、その周波数帯の中には一つの番組しか存在しません。例えば関東ではCH1にはNHK総合しかないということで、チャンネル帯域当たり一次元です。ところがデジタル放送は一つの周波数帯域の中に複数の番組を入れることが出来ます。番組に対しては多次元となります。
周波数帯域は電波を送る入れ物のようなもので、この世を入れている宇宙のようなものと考えることが出来ます。
アナログ的に考えれば大宇宙に対してこの世しか存在しないことになりますが、デジタル的に考えれば大宇宙に幾つもの世界が多重されることも考えられますよね。
まるが写真に写る写らないというのは人によって多重化されている宇宙に対して、チューナーを持っているのかいないのかの差なのかもしれません。
そのチューナーにも性能が色々あり、高機能の人は霊媒とか呼ばれ、低い機能の人はたまにまるが写るとか、 、、、。
でもなぜカメラなんだろう??
その場合は肉眼で見えないとおかしいような気もしますし、、、。
(写真のように客観的に見れるものがないのですが、肉眼で見えるという人の話もあります。)
いずれにしても科学はどんどん進歩しているわけですから、そのうちに柔軟な発想に基づいてまると宇宙との関係をきちんと説明できるようになっていくことを期待します。
11.改めてまるは何なのか?
「改めてまるは何なのか?」 ???
・・・・ 私も教えてほしいです。
回答できない目次に誰がしたのかというと、それは自分なのです。
改めてこのように問われるといささか困ってしまいます。
今まで出てきたキーワードを並べてみましょう。
・まるは実在するものである。
・いつも写真に写るものではない。
・盆踊を見に来るまるもあれば、密かに穴倉に潜んでいるまるもある。
・妖精のようなものもいる。
・キズのあるまるもあれば高位と思われるまるもいる。
・私たち自身もまるであると思う。
・まるはトンネルのようなところを通って移動しているようである。
・その他・・・・
このような概念をまとめると、こんなふうになります。
まるは過去から未来へずっと存在し続けるものであり、あるときはまるの世界に留まり、
あるときはこの世に出てくる。
まるの世界にいるときは丸い形をしているが、この世では生き物に宿って生まれてきて肉体を持つ。宿った生き物の肉体を操縦しながら生涯を送り、肉体の死亡と共に元のまるの世界に帰って行き、それを繰り返す。
まるの世界では、進化もなければ退化することも起らない。この世にいるときにそれらまる自身の変化は起る。
まるは肉体と結合し、以後は前世を忘れてこの世の生活を送るが、肉体にはきわめて強い欲と魅力が供えられており、肉体をうまく操縦できるかどうかをまるは試されることになる。その結果がまるに印として残ることになり色々な模様のまるが存在することになる。
で、それらをもとに妄想すると、、、
まるを作った存在が遠い未来、もっと言えば今の宇宙が終焉する時に次の宇宙を蘇生させるために、まるに自分の記憶を継承させているのではないか?、さらに次回の宇宙蘇生時には既存の継承させている記憶だけでは不足で、その時に必要となる力・能力などを生み出す必要があり、まるが輪廻を繰り返すなかで優秀なまるを出現させ、その時に備えようとしているのではないのかな???
良いまるになっていく基準は、この世で金持ちになることとか大臣になることとか権力者になるとかいうこととは全く違う次元にあると感じます。
日本人なら魂(たましい)という言葉を知っていると思いますが、まるは魂そのものであると言ってもそんな大きな違いはないのかなと思います。
かつては魂は概念でしたが、それが実在するというのが「まる学事始め」のひとつの結論なんですね。
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12.地球の役目について
10章の宇宙物理学との関係では、もしかしたら多重化されているかも知れない宇宙のお話を書きました。
本章ではその中の地球という極めて稀に知的生物が生息する星のことを書いてみたいと思います。
地球に関連する主な年表を書くと次の通りとなります。
宇宙の誕生
:137億年前
地球の誕生 :46億年前
新人類誕生
:1万年〜2万年前
仏陀誕生 :紀元前約500年頃
キリスト誕生
:西暦元年
モハメッド
:西暦570年頃
現在
地球の寿命
:50−70億年後に太陽が膨張(30億年後という説もある)
弥勒菩薩
:56億7千万年後に現れるという
宇宙の寿命
:閉じた宇宙か開いた宇宙かによって全く異なる。
簡単な年表ですけど、これを見て何を感じますでしょうか?
箇条書きにするとこんなことになるのでしょうか。
・地球の存在時期は大宇宙と比べると短い。
・今でも大きく影響している教えを説いた仏陀、キリスト、モハメッドが現れたのは、
宇宙年数から比べるとごくごく最近のことである。
・地球は宇宙の終わりまでは存在しない。(宇宙が開いている場合)
・弥勒菩薩が出現すると言われている時期と、地球滅亡の時期は微妙な関係。
現在の宇宙物理学ではまだビックバンの直前の、宇宙がスタートする瞬間のメカニズムが説明出来てません。
その瞬間に神あるいは宇宙の創造者が存在する余地があるわけですが、先ほどの宇宙の年表を見ると、宇宙の創造者の大きな仕事は今の宇宙が寿命を迎えたときに、次の宇宙を蘇生させることではないのかなあと思うわけです。
そのときに必要となる情報、知識あるいは更なる進化をまるに託しているのかなあ。
太陽はやがて燃え尽き、あの大きさの恒星のたどる結末を迎えます。
太陽クラスだと、やがて巨星となり地球の軌道あたりまで膨らむとも言われています。
そのときの太陽の表面温度は変わらないそうですので、地球上の生物ははるかその前に焼き尽くされてしまいます。
ということは、まるは太陽肥大化の前に地球を旅立つんですね。そのときまでにそれが出来るようになっていなければいけません。
逆に言えば、地球がまるに適した環境になったとき、まるはよその星からやってきたということも考えられるんだと思います。その場合、すごい知識があったはずなのになぜか忘れ去られてしまっていることになり、???の世界です。
地球にやってきた時、あるいは地球を旅立つ時の姿はまるなのか?
そのときの生物の姿は何なのか?例えば人間の姿なのか?
この問題はどうなんでしょう??
たぶん、人間という生物の脳は曖昧な事象についても探っていくことが出来る
優れたコンピュータであり、また単に計算するだけでなく感情を最大限の効率で
知覚できる、まるにとって優れた乗り物だと思うわけです。
私がこの「まる学事始めを」書きながら感じていることは、
まるはまるの姿で宇宙が存在する限り永劫にでもいられるのかもしれないけど、
まるの姿では何も出来ないんじゃないかということです。
つまり肉体を持って始めて宇宙への寄与ができるんじゃないかということです。
まるは生物となっている間に太陽肥大化問題に向けて進化しなければいけないミッションを持っているんじゃないのかなあ。
効率よく進化するためには、まるは人間として生まれて来る必要があると思います。
犬でも中には賢いのもいるけど、犬や猫では生涯の間に人間が得られるほどのまるへの刺激がなく、生涯で進化できる量は小さいんだと思います。
人間は自らがきちんと生きられる環境を地球で維持していかなければいけません。
人間が生きるためには動植物がきちんと生息できる環境を維持しなければいけません。
そして、やがて来る太陽の肥大化を乗越えなければいけません。
人間として輪廻を繰り返して効率よくまるが育成できないと、重大な局面を乗越えることが出来ないのかもしれません。
アインシュタインだって、たまたまの突然変異で天才の脳を持って生まれたから誰も考えなかった理論を考え出すことが出来たんじゃなくて、良いまるがたぶんすごく低い確率で脳の発達した肉体と結びつくことが出来て、まると肉体が合わさって天才として活動できたんじゃないのかなあと思います。
太陽の肥大化はまだ気の遠くなるような何十億年も先の話ですが、人間自らの愚かな行為によって人間が住めない環境となる日は目と鼻の先にまで迫っています。
近年は文明の進化が著しく肉体にとって楽な世の中となっています。生きることがそんなに難しくなくなったため、肉体の持つ欲がより強くなり、そこに宿ってきたまるにとって人は操縦しにくい乗り物に代わってしまっているのかもしれません。肉体のもつ誘惑に負け、さまざまな我欲を満たすことのみを目的として生きている人が増えてしまい、そういう時代では、せっかくまるは肉体を持って生まれてくるのに進化することが出来ません。
地球はあと数十億年は頑張って維持しないといけません。
気の遠くなる輪廻転生が必要ですね、、、、、。
あともう一つ、、、、、。
宗教の元祖が宇宙年齢で見れば、ごくごく最近のほぼ同時期に出現しているということ。
仏教、キリスト教、イスラム教などは同じ神を違う言い方で表現しているとの見方もあるようです。
ここで言いたいのは、
それぞれの教えに従って人の生活スタイルは大きく異なっているということ。
どの宗教を信じるにしても、地上で生活している人間にはまるが入っていると考えると、
たぶん、創造主はパラメータをふられたのかなと、、、。
肉体とまるは一緒の生涯を送りますが、肉体がなくなったあと、
まるは以前より進化していることが期待されているのでしょう。
生活スタイルを違うグループに分けて進化の様子を見られているということも考えてしまいます。
パラメータをふるというのは宇宙規模でも行われているとも想像します。
地球と、どこか遠い宇宙の向こう側の星。
宇宙の再生に必要なものが出現する確率を高めるためパターンを変えて確率を高めているということです。
言い方を変えれば宇宙の創造者は釣り針を沢山お垂らしになったということになるのですが。
今を生きる私たちのミッションは地球を大切にして行くということで明白ですね。
太陽の膨張のはるか手前なのに、目前には環境破壊や戦争などの危機が潜んでおります。
その原因は、まるが肉体を制しきれないがために起っているのでしょう。
今だって地位金権力のために地球を食い物にしている人間が大勢います。
まるが人間として生まれたときには記憶がなくなり、片鱗でも前世を思い出せないようになっているのかなあ。私も前は何だったのかわかりません。
今日人間が暴走しているように見えるのは、まるの進化と、肉体の進化がバランスが取れていないのかもしれません。肉体だけ進行し、肉体の欲する強い欲にまるが太刀打ちできないのかもしれません。生活環境が良くなって、肉体が享受できる心地よさが増したから、余計に肉体が強くなってしまったのでしょう。
まるが弱った肉体、まるがいない肉体は・・・・・ゾンビかもしれません。
人間がこんな勝手な状態を続ければ、創造者から見れば宇宙のどこかで進められている同じようなまるの進化過程と比べて、地球はパラメータの値が悪くて閉じた世界となってしまって、滅亡していく世界となってしまうということではないでしょうか?
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13.まるとの共存を認識しよう
第10章から第12章までは内容に沿う写真を添付することが出来ませんでした。
写真がないと文章だけとなり、文章だけとなると独断と偏見に満ちた妄想が入りやすくなります。
たぶんそうなっているんだろうと思いますが、証拠がないところでのお話はそういう想像や発想を仮定として挙げさせていただいたということでご容赦願います。
本章ではまた写真をもとにしてお話をしていきたいと思います。
まるとの共存を認識するということで、今まで掲載してきた写真やこの章で新しく掲載する写真をいくつかご覧になってください。
盆踊にたくさんのまるが集まりました。
神社に綺麗なまるが現れました。
(左の15秒後の写真)
人でごった返すJR新宿駅です。
街灯の下にいるまるが、スーと横に移動してタクシーの看板の上にいます。
新宿駅南口からドコモビルのほうを見ました。
新宿の空をまるが舞います。
上野不忍池の弁天堂です。
沢山のまるが集まっています。
上野東照宮です。
綺麗なまるばかりが沢山集まっており、神社ということもありまるの品格を感じます。
他の写真などを総合すると、まるにも上から下までの格があるのだろうと思います。
本ホームページはまだ事始めにつき、まるについて明らかに出来ないことが沢山あります。
しかしながら、読者の方に写真に写る色々なまるを見ていただいて、
不思議なまるは心霊現象でもオカルトでもサイエンスフィクションでもない現実である
ことを感じていただけたんじゃないかと期待しております。
まるは私たちのごく身近に実在しています。
まるは私たちと共存しています。
まるは私たちであり、私たちはまるなのです。
肉体の姿とまるの姿を繰り返しながら、大切なもの、宇宙の根源にかかわる情報を未来へ運んでいるのだと思います。
肉眼で確認できないこの分野について、とかくスピリチャルな分野であるように思われがちですが、この分野すなわち「まる学」は物理学を大きく含んだ学問??だと思います。物理というのは範疇が広くもってこいの分野です。それと宇宙の創造にかかわる分野をあわせたものだと思います。
難しいことはありません。身近にその証拠があるはずです。
それが見えないのは、、、いつしか人間は傲慢になってしまっているからなのでしょうか?
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14.地球上で生きるものの生き方について
「人間」と書かないで「地球上で生きるもの」と書きました。
これは、まるが宿る肉体は人間に留まらず動物やもしかしたら植物にも及ぶかもしれないと思うからです。
あの世には花が咲き乱れているなどという話をよく聞きます。それが本当なら、植物はあの世でも植物なのかい? 一生懸命植物をやったのにまた植物なのかいと聞かれてもそれは今は分かりません。動物と植物とどちらが上なのでしょう。
動物にしたって、ミミズやナメクジにもまるはいるのかい?と聞かれると、それは今は分かりません。まじめにミミズやナメクジをやれば次はもう少しましな動物になれるのかどうかもわかりません。
逆に、人間と近い生活をしている犬や猫などのペットの供養をする人もいます。これは彼らに心があることをペットを飼ったことがある人間なら誰でも知っていて、人間と同じように死後はあの世に行って安らかに暮らしてほしいと願うからなんですね。
私はこう考えたいです。
地球用に用意されたまるの数よりも地球上の生き物の数のほうが多いのだと。
人間を含めまるが宿ることが出来た生き物は、まるを次の輪廻に運ぶ役割があるのだと考えます。逆に言えばまるがその生き物を操縦するということなんですが。
まるが宿らなかったものは、DNAにしたがって種を繁栄させることのみが使命になると思います。
私自身まるに操縦されている感覚は全くないのですが、近年写真にまるがよく写るようになったりして、それもまるが操縦しているからそうなっているんだろうと思っています。
「まる学事始め」にしたって、今まで物理万能で生きてきて、まるの知識なんて全く無かったのに、パソコンの前に座るとなぜかひとりでに指が動いて文章が出来上がっていきます。まるが操縦しているからそうなっているんでしょう。
さて、前置きがとても長くなってしまいましたが、地球上で生きるものの生き方について書きます。対象はまるが宿っている人間に限定して良いと思います。
今まで書いてきたことでまるのミッションをまとめると次のようになると思います。
・まるは進化していくことが期待されている。
・まるの進化はこの世で宿った人間の生涯を通してしか起らない。
・この世の肉体がなくなったとき、まるは以前より進化していることもあれば退化していることもある。
まるが操縦する肉体には
・肉体には強い欲と魅力が備えられている。
・宿った肉体には、運動能力の優劣や顔形などの差がある。
・癌などの病気に肉体が負けてしまうこともある。
ということです。
さらに生まれた環境によっては
・生まれたときから貧富の差がある。
・生まれた時代によって、大変な時代もあれば平和な時代もある。
ということです。
宇宙は時間と共に刻々と変化していきます。目に見えるこの世も変化していきます。
地球のこの世は人間社会が大きな勢力を持っています。したがって人間が構成しているこの世のあるタイミングで、出生と共にまるはこの世の一つの家にデビューするわけですが、これはまるにとって最初から不平等であるということです。
だけど、これを気が遠くなるほど繰り返すのがまるの定めです。
「まる学事始め」を読まれて何か思うのは、それはまる自身です。(本人はそれは自分の心と思ってますけど)
今の世の中は昔と比べると環境も良くなり、人間の肉体の持つ欲が強大となっており、多くのまるは肉体をコントロールできていないような気がします。半ゾンビ状態ですね。
望むのは、これを読んで何か気がついてくれればいいなあということです。
特に宿っているまると肉体が十分馴れ合いになっている中高年に気づいてほしいですね。
中高年は人生を折り返しているし、身内や愛する人の死別の経験をしていく年代です。
科学万能といわれる現代において、科学で説明できない本人が始めて体験する不思議な出来事があるはずです。
それに気がついたら、自分の中のまるに問うてみてください。自分はどう生きるべきかと。
まるという言葉は使わないけど自分に問うやり方は禅やその他の方法が過去からあると思います。
最近のまるは、私のまるもそうですけど、世の中厳しいし、お疲れ状態です。
それに、自分がまるであることを忘れて久しいです。最初から覚えてなかったかも。
筆者ピンピンシニア個人からのお勧めは、できる限り自然と接するということです。
人間も自然の一部です。
風の音に耳を済ませ、流れる雲の形に驚き、吸う空気は山や海の匂い。
あと食欲と子孫を作るための欲。
子供は次の世代を引き継ぐものであり、この世に生まれる順番を待っているまるにとっては
なくてはならないものです。
高齢化が社会問題になってますが、該当する年齢になって、あとは子供の世代が頑張ってくれるから私はもう・・・
なんていう考え方は、まる学的に言うと大切なことを忘れています。
なぜならば、子供の世代は次の世代ですが、私たちのまるはそれよりさらに将来にこの世に現れるからです。私たちのほうが子供より地球の未来に貢献するのです。(もっともそれは子供と交代交代ですが)
まるは肉体が生きているときにしか進化しないと思います。
この世で命ある限り、肉体に備わったありとあらゆる機能を使い、脳を含めた肉体を通して感じることをまるに蓄積して、やがてこの世をおさらばするのが大切かと。
思い立ったときが始まりです。
肉体はどんなにお金をかけて手入れしても無くなることを理解して、文化や教養その他学問などなどを始めること、他の人のためになることをすること、ボランティアでもOKですよ。
やがて誰もがまるに戻ることを認識しておおらかに生きましょう。
(個別の指南書は本屋さんに沢山並んでいます。)
あの世にお金は持っていけないことをよ〜く認識しましょう。
肩書きもね。
もう一つ、
病気や老衰などで自分の寿命を医者から宣告された人、
ご自分で自分の寿命を悟られた人、
まるのお話をわかっていただけたら
何かのお役に立つのではないのかと感じております。
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15.終わりに
おかげさまで何とかここまで書くことが出来ました。
写真という客観的な証拠からまるの世界を述べ、まると私たちの関係を述べ、
最後に生き方を述べました。
内容について信じる信じないは読者の自由です。
今後更なる検証によって改定や追記があると思います。
最後にこの写真を載せて終わりにします。
神社に延びる光のトンネルです。
まるが一列になって移動しているのがわかりますか?
この世とまるの世界はつながっています。
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2.喜連川
栃木県さくら市にある喜連川温泉の道の駅です。
道の駅の温泉につかり、倹約旅行かは駐車場の車でゆっくり。
日も沈み、ざわざわしていた駐車場も、静かになりました。
エンジンをかけている車はありません。
駐車場を撮影しました。
まるで、龍のように白いモヤが地表を這っています。
温泉棟もご覧の通りです。
見方によってはいろいろに見えます。
何かの形に見えないこともありません。
しかし、これらモヤは次の写真には写っておらず再現性がありません。
温泉棟にまるが現れました。
西の空にもまるが現れました。
拡大写真です。
後に6角形のまるが写るようになりますが、
このときはまだまんまるのまるです。
街灯の下にもまるが現れます。
これは別のまるの拡大です。
皆模様が異なっています。
まるがまとまって出現しました。
左上部分の拡大です。
縞のまるが中央のまるに向かって横顔を向けているようです。
縞の角度もみな異なっています。
まるで、中央のまるとその従者たちのように見えてしまいます。
中央の白いまるは高貴なまるなのでしょうか?
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3.盆踊り(2010年) 4.6角形のまる
2010年の盆踊です。近場の盆踊に2回行ってきました。
そのときの写真です。
1回目の盆踊
カメラ:パナソニックLx3 (左上の拡大)
日が沈み、音楽が流れると集まってきました。
カメラ:パナソニックLx3 (上右の拡大)
今年のまるは6角形です。
カメラ:パナソニックLx3 (上右の拡大)
丸いまるも混ざっています。
カメラ:パナソニックLx3 (中上の拡大)
やぐらの上で燦然と輝いています。
カメラ:リコーR10
カメラを変えても同じように写ります。
カメラ:リコーR10 (拡大写真)
編隊をくんでいるようにも見えます。
丸形のまるの奥に6角形のまるも見えています。
まるの形の相違は何を物語っているのでしょうか??
2回目の盆踊
別の自治会の盆踊です。
カメラ:パナソニックLx3 (上中央の拡大)
最初に現れたのは6角形のまるでした。
カメラ:パナソニックLx3
まるが空を覆っています。
カメラ:パナソニックLx3
雪空のようです。
まるは木の葉より低いところを帯状になって漂っているようです。
ストロボの届く距離考慮すると、極近いところにいます。
カメラ:リコーR10
カメラを変えても状況は同じです。
カメラ:リコーR10
空をまるが覆っています。
盆踊をやらなければ、公園ではめったにまるは写りません。
まるは盆踊を見にやってきたと考えるのが一番スッキリします。
これらまるは膜1枚この世とは離れたところにいると思います。
それは第1部で載せた盆踊の写真で、うっすらと膜のようなものが写っており、
膜から離れたまるは崩れていく様子も写っているからです。
まるの世界からの盆踊見物集団バスツアーのようなものがあるのかもしれません。
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いつも写真に写るまるは丸でした。
ある時6角形のまるが写るようになりました。
いくつかの写真を掲載しますのでご覧下さい。
称名寺の陰陽の滝でも6角形が写りました。
その拡大です。
不動明王の所のまるも6角形です。
その拡大です。
108やぐらでも6角形のまるです。
左右のまるを拡大しました。
これらは、まるの新種でしょうか?
ある日、ふと、カメラの絞りと関係があるのではないかと気が付き、
実験してみました。
絞り優先モードで撮影しました。
f値:2.0です。
絞り開放状態です。
右上に写っているのを拡大してみます。
丸い形です。
f値:4.5です。
中央上に写っているのを拡大してみます。
6角形です。
絞りの形が現れているようです。
至近距離にあったものがストロボを反射して、
光が平行光線になる前に、絞られてしまうので絞りの形が現れるのでしょうか?
至近距離にあるものと書くと、
まるはやっぱり空中の塵や細かな水滴であると言われるかもしれません。
それであれば、統計的に、誰が写そうが普段撮影しているスナップ写真に、
もっと沢山写っていないといけません。
6角形のまるが出現したと思ったとき、正面が6角形なら横から見たら
どうなっているの?という疑問がありました。
短くなった鉛筆のようになっているの?とか不思議でした。
球体が絞りのせいで6角形に写っているんですね。
まるは薄暗い時に写すことが多いのでカメラは自動で絞りを開放にするため
気にしなくても丸く写るのでしょう。
手動で絞りをいじって、それを忘れたまま撮影すると今回のように
カメラ固有の絞りの形が写るんだと思います。
やはり、まるは球体だと思います。
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5.熱田神宮 6.まるが驚く?? 7.夜の蜃気楼 8.新型のまる? 9.盆踊り(2011年) 10.竹灯篭(2011年)
初めて熱田神宮に行きました。
境内にある大楠です。
女性が熱心に手を合わせています。
上の写真にはなかった緑色のまるが大楠の右上に。
拡大しました。
大楠の主かも知れません。
緑色のまるは初めてお目にかかりました。
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ある神社の下に小さな洞窟があります。
中を覗いてみました。
最初の写真です。
洞窟の中は水が溜まっており、腐ったアオミドロが黄色くなっています。
まるが浮かんでいます。
7秒後の写真です。
奥から、沢山出てきたような、、、。
さらに7秒後の写真です。
次から次へ。
これはカメラのビュワーでも十分認識できました。
ストロボ充電の間のわずかなときに、周囲の気配をうかがいますが、
特に感じることは無いです。
完全にこの世に出ているのではなくて、近接している亜空間のようなところに
いるのでしょうか?
さらに6秒後の写真です。
少し落ち着いたかな。
と、こういうふうだったわけです。
腐ったアオミドロの洞窟に、まるがいるのかよくわからないです。
第一感としては、成仏できずにこのようなところでひっそりと暮らしているまるたちと考えてしまいますよね。
それにしては数が多いし、成仏できなければこういうところで暮らすのかなんていうことはわかりません。
成仏というのは仏教の用語ですので、まる学では肉体がなくなったあと、まるの世界へ行けなかったまるたちといえばよいのでしょうか。
このようにゾロゾロと洞窟から出てくる姿を見ると、とにかく、まるも驚いたようです。
ということは、まるにも知覚があるらしいということです。
驚いて出て行ってしまいましたが、すぐに戻ってくるでしょう。
まるが驚いたもはストロボの光だと思うのですが、
こちらの発した合図、すなわち人間のいる3次元空間から発した合図を認識してもらったということになります。
こちらはまるのことはサッパリわからないのですが、
まるはこちらの世界のことはわかるようです。
いままでは、単に写真に写り込むだけの、いわば、人がまるを認識するためだけのフェーズ。
今後は、交信とまでは行きませんが、こちらの意識を伝えてみよと努力するフェーズ。
まる学も少しだけ新しいフェーズに足を踏み入れたのかもしれません。
【目次に戻る】
位相が違う世界の風景がこの世から見えることがあるのかもしれません。
問題はここで起こりました。
背景には人工的な構造物はない場所です。
同じ場所の夜の写真です。
右手に光るものが写っています。
拡大しました。
??
駅のプラットホームの蛍光灯??
規則正しく並んでいます。
ストロボシンクロのときの何かでしょうか?
細胞のようなものの繋ぎ目の辺り、幾何学的にあまりにもリアルに写っています。
今度は正面の木のところ。
左上のなにやら写っています。
拡大しました。
ビルの窓が写っているみたいです。
ここにはビルはありません。
多重露出??
少なくとも操作として多重露出はしてません。
念写?
デジカメで、0と1の配列をどうにやって念じるんだろう?
蜃気楼??
ナイトミラージュ。
遥か彼方の星のビルが写っていたり、宇宙航行中の船の姿だったり、
はたまた、あの世のビルの姿だったり、、、と。
平行して存在する世界があり、
この世から覗けるタイミングがあったのかもしれません。
いままでそれはまるの世界としていたお話です。
以外に、まるの世界は高度に科学が発達している世界かもしれないです。
【目次に戻る】
鎌倉の大仏切通しでのことです。
雨が降ってきました。
今までのまる学のお話は、ピンピンシニアが自ら撮影した写真を使ってきました。
今回のお話は、ピンピンシニアが撮影した写真ではありません。
なぜならば、その写真の中に、ピンピンシニアが写っているからです。
それだけでも気色悪いと思われる方も多いかと心配して少しカットして載せてあります。
切通しの様子を写真に撮ると輝点が沢山写ります。
雨粒が写ったのかなと気楽に考えていた私でした。
そこを写真を撮るやつがいたわけで、それが問題のこの写真です。
一見何の変哲もない写真なのですが、、、。
右に傘を片手にPanasonic
LX3で写真を撮っているやつがいます。
恥ずかしながらピンピンシニアでござりまする。
近くに大きな雨粒が写っているなあと思いながら、拡大してみました。
???
なんじゃこりゃ??
アルミニウムの灰皿?
缶カラの底?
UFO?
円盤型手裏剣?
ピントが合っています。
円盤の両側に対象系に2筋の切れ目のようなものがあり、
中の平面の両側に小さなまるが一つづつ写っています。
いったいなんでしょう??
写っているものが何かを考える前に、技術的にこの写真のすごいところは、
私が持っているカメラの紐が手前に写っているため、
まるは私のごく近所にいるということがわかることです。
実は、今までわかっているようでいてわからなかったこと、
それはまるの大きさとカメラからの距離、即ちまるのいる場所がわかりませんでした。
写真に写っているまるは、距離と大きさが因果関係にあるから、
どちらかのパラメータを固定して考えることができませんでした。
ところが、今回写った写真によりおおよその距離を固定することができました。
私のすぐそばにまるがいたとすると、まるの大きさは拳の大きさほどになります。
拳の大きさというと心臓の大きさでしょうか。
あれが何かはともかくとして、距離と大きさがわかったことがこんなにもうれしいとは、、、、。
学問の発展で、偶然によってヒントが見つかった例は多いと思います。
今回も偶然かもしれませんが、こんな写真を撮るやつがいたものだと、感銘しております。
この写真の使用は、承諾を得ております。
問題の写真の左下あたりの拡大です。
くらげの赤ちゃんのように、
なんだ、なんだといって、泳いでくるまる。
指向性が見て取れます。
ランダムな雨粒ではありません。
この写真を撮られたとき、ピンピンシニアは何を撮影していたかというと、、、、
切通しの写真を撮っていました。
実は、この時もまだ雨粒がよく写るなあと、、、思っていたわけでして。
中央のまるです。
緑の中に浮かぶとても美しいまると対面していたわけでした。
では、あれは何ですか? ですよね。
最初、あれは私から出たものではないのか?と考えたりもしました。
ならば私は、灰皿星人か缶カラ星人なのか?
手裏剣にいたっては、邪悪な感じは全くしないので却下です。
奇抜な形は、こちらに気がつかせる最初の信号とした場合、その後2進数で素数なんか送られてきても、
こちら何のことやらさっぱりわからないはず。
もっとわかりやすい何かではないのかな?
写真を180度回転させました。
それを見て、なんとなく分かった気がしました。
円盤外側の切れ目を耳、下側に来た黒いポチを口とすると、これは、どこかで見たもの。
観音様のお顔のようでもあるし、絵本に出てくる優しい顔のように見えます。
180度回転させないと、眉間の間にするポチのようで、それもありかなと思いました。
まるは形を変えることができることはわかっています。
分かりやすい姿に変化してくれたのかもしれないと思いました。
「まる学事始め」はようやくPhaseUに入ったところです。
PhaseTはまるの実在を認識すること。
PhaseUはまるとの何らかの意思疎通ができないかがテーマです。
お互いに見て、驚きあったでもよいわけです。
まずはそのレベルなんですが。
宇宙人との交信でも、向こうからは昔から信号が来ていても、
人類にそれを認識する力がなければ、夢の話、SFです。
まるの世界からも同じかも知れません。
今回の写真は、気づいてくれというまるからのメッセージかもしれないと思うわけで、
まる学はちょっぴり前進したのかもしれません。
その場合、どうにやって返事を出せばよいのでしょう????
今回のことは、私一人では気づかなかったこと。
目の前にまるがいたのに、見えないのですから。
あの写真を撮るやつがいなければ分からなかったことなので、感謝しましょう。
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まるを意識するようになって3年目の盆踊りです。
今年の盆踊りにもまるはやってきました。
露店の上にも沢山のまるが、、、、。
いやでも目に付く中央左上のまる。
拡大しました。
双子でしょうかねえ。
上のまるが、下のまるの影響を受けて歪んでいるように見えます。
ゴムマリのような性質もあるのかもしれません。
呼吸をすれば吸い込んでしまう高さまでまるは降りてきています。
オレンジ色のまるもいます。
赤く見えるものは、電球の光がレンズの中で像を作ったものと考えられます。
木星のようでもあります。
息をすれば吸い込みそうです。
盆踊り会場はまるで満ち溢れています。
明らかに、まるは集団で盆踊りを見に来ています。
横浜のこのあたり、そんなに歴史が古いところではありません。
土着のものと考えるより、盆踊りに来ている人たちが、みな引き連れているまるではないのでしょうか。
誰もが気がつかないだけで、沢山のまるを引き連れているのかも知れません。
一人当たり、1000や2000のまるを引き連れていて、
私たちは代表でこの世にいるのかも知れないとも思いました。
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素朴な竹灯篭祭りに、まるが集まりました。
あたりが暗くなって、ようやくまるが写り始めます。
竹の間をまるが漂います。
ここは城址。
かつての城の侍の霊が、現代の竹灯篭を見に来たのでしょうか?
竹の間に、主張のあるまるが現れました。
拡大です。
竹の精霊でしょうか?
普段は、撮影できません。
集まった人と関係があるように思えます。
盆踊りだって、普段の公園ではあんなに沢山のまるは撮影できません。
竹灯篭を見に来た人が連れてきたまるが漂っているのだと思います。
みんな、気がついていないけど、
人間一人当たりかなりの数のまるを引き連れているのだと思います。
複数のまると人間は同一のものかも。
まるの機能のある部分がこの世で生きているのかもしれません。
11.木霊
雨の鎌倉です。
最初は雨粒が写っているものと思っていました。
どうも、雨ではないようです。
わざわざ雨の日に、鎌倉へ来たものを見に集まってきたような感じ。
前はまるだらけ。
横もまるだらけ。
後ろもまるで囲まれています。
ん?
一つ目。
拡大しました。
じっと見られてしまいました。
私が進むと、まるはよけてくれるようです。
左下に注目。
二つ目の出現です。
まるで屋久島にいるという木霊のようです。
鎌倉にも木霊はいたのか。
林の精霊は、普段は姿を現しません。
この日、一緒に森道を歩いてもらった、そんな気がしてなりません。
雨の日に、誰もいない森の道にいると、
たぶん、まるの世界に通じる何かが開くのかもしれません。
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